現実の魔法のランプを探す旅

願いを何でも叶えてくれる魔法のランプは欲しいですか? そんなランプを探す旅行記のお話し。 夢はたくさんあるけれど、まずは自由を獲得すること。 今まで出会った言葉や気付き、新しく出会った格言などを書いてきます。 鹿島や日本代表などサッカーネタやFPS等のゲームネタ、趣味のDIYなども書いていきます。

2016年03月

ファンからの質問に驚岳の回答!? MF柴崎岳があの日本代表選手に「仲が良いと思ったことはありません」
theWORLD(ザ・ワールド) 3月31日(木)19時40分配信 

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日本代表でも共闘した柴崎岳と宇佐美貴史 photo/Getty Images 

 
中学時代からのチームメイト加入には「嬉しい」

鹿島アントラーズは先日、ツイッター公式アカウントのフォロワーが10万人を突破したことを祝し、選手とファンが交流できるツイッターチャットを実施。10という数字にちなみ、今季から10番を背負うMF柴崎岳が登場した。その様子を29日、鹿島公式ツイッターが動画で公開している。

鹿島には今冬、清水エスパルスから世代別日本代表でも活躍するGK櫛引政敏が加入した。同選手と中学生時代から高校卒業まで青森山田でチームメイトだった柴崎は、ファンから「櫛引選手が鹿島に移籍することが決まったのを知った時どんな気持ちでしたか」と質問が寄せられると、 「嬉しかったです。今は一緒に練習していると懐かしい感じです」と回答した。

学生時代のチームメイトと再び同じチームで戦えることを喜んだ柴崎だが、同世代の戦友であり、昨年は日本代表でも共にピッチに立ったガンバ大阪FW宇佐美貴史との仲を聞かれると、「小さい頃から知っていますが、仲が良いと思った事はありません」と無表情で話して笑いを誘っている。

柴崎が所属する鹿島は次節、4月2日に敵地で川崎フロンターレと対戦する。インターナショナルウィークに開催されたヤマザキナビスコカップ2試合では、柴崎はいずれの試合も先発出場しながら本来のパフォーマンスを発揮できず、クラブを勝利に導くことはできなかったが、首位に立つ川崎との対戦は序盤戦の大一番。昨年は得点に絡む活躍をした等々力陸上競技場での大一番で、柴崎がどうのようなパフォーマンスを披露するか注目だ。

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この記事はジョークのつもりで書いたのか、それとも悪意があって読者を誤解させたいのか…。

ある程度サッカー通の方ならば、誰も柴崎と宇佐美が不仲ではないことは周知の事実でありますが、表面しか知らない方には誤解を招きかねないですよね。

西の宇佐美、東の柴崎と言われ各年代の代表でも苦楽を共にしてきた2人です。強固な信頼関係があっての発言でしょう。
しかし柴崎のこのコメントには、実に「柴崎らしい」意思が見え隠れします。

それは「友達はいらない」タイプの人間であるということです。
柴崎は研究熱心で負けず嫌い、向上心の塊であり、エピソードはたくさんあります。

青森山田中時代、チームで一番上手くなると目標を見失ってしまい、テンション(向上心)にかげりが出ます。それをも見た青森山田高の監督が柴崎を高校生に混ぜてトレーニングをさせた所、自分より上手く・強い選手に目を輝かせていたという話しです。

そして高校入学と同時に1年生ながら背番号10を継承します。
遠征の移動のバスの中では、自ら監督の隣に座り自分達の試合のVTRを見ながら、監督にプレーの選択肢を伺ったり、悪いプレーを探していたそうです。

青森山田中で全国大会準優勝した際は、悔しくて表彰式には出ず、スタジアムの端っこに隠れて泣いていたというエピソードを聞いたことがあります。
そして高校でも全国準優勝…。さすがに監督に目の一番の捕まって表彰式には出席したそうですが、メダルは数秒で外したとか…。銀メダルには興味は無いそうです。

そんな柴崎にとって仲良し小好しな【友達】は不要なんです。
必要なのは同じ目標に向かって戦える【仲間】だけなのです。
だから「仲が良いと思った事はありません」と答えたのでしょう。言い換えれば「彼は友人ではありません、仲間です」と言ったところでしょうか。

代表から少し距離が開いてしまった柴崎だが、彼は立ち止まることを知らない男です。
毎日小さな鍛錬を積み重ね、少しずつでも前進しています。

いつの日か再び日本代表に戻り、世界を驚かして欲しい!!


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高崎選手が松本山雅FCに期限付き移籍
2016年03月30日(水)

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負傷者相次ぐ右SBで植田をテスト…手倉森監督「あり得る」
ゲキサカ 3月29日(火)18時13分配信

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画像: Getty Images (ゲキサカ)

[3.28 練習試合 U-23日本代表1-1スポルティング・リスボン]

 ポルトガル遠征中のU-23日本代表は28日、スポルティング・リスボン(ポルトガル)と練習試合を行い、1-1で引き分けた。
まずはClub totoへ入会
 リオ五輪アジア最終予選に出場したDF松原健(新潟)、DF室屋成(FC東京)が負傷離脱中の右SB。この試合では本職がCBとなるDF中谷進之介(柏)やDF植田直通(鹿島)が右SBでテストされた。チームを率いる手倉森誠監督は「たとえばスウェーデンなど、背が高いチーム対策として中谷や植田のSBはあり得る」と起用の意図を話している。

 後半24分から出場した植田は「準備はしていたし、攻撃は楽しかった」と右SBでのプレーを振り返ると、「五輪(の登録メンバー)は18人なので、(ポジションを)2つくらいはこなせるようにならないといけない」と意気込みを示した。

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植田が右SBでテストされた模様です。

私はこれはポジティブに考えたいと思っています。もちろんU-23代表にもマルチ性が好材料となりますし、鹿島においても植田が右SB可能なら西を左に起用したり、または休ませたりすることも可能となります。右SBには伊東がいますが、試合中にシフトできるメリットを考慮すると、植田のチャレンジは想像以上に効果は大きいです。

CBの層は本当は厚く(現在は怪我人等で不安定だが)、そこの人選においても幅が出てきます。

山本・昌子・植田・西の組合せでスタートし、SBにアクシデントが起きても左は昌子、右は植田がカバーでき、代役のCBにファン・ソッコが入る選択肢も出てきます。CBには町田もブエノもいます。

本職はCB、でもセカンドポジションとしてSBが可能となれば需要も増しますし、選手としてもやりがいや価値の向上が見込めるでしょう。
是非とも植田にはSBに必要なテクニックや駆け引きを覚えてもらいたいですね。
頑張れ直道!!

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金崎夢生が語る異国での2年間…ポルトガルで再認識した二つの原点とは

2016.03.28. 12:30

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2月に鹿島復帰を果たした金崎夢生。移籍の経緯や自身の成長を存分に語った

「カナザキは興味深い選手。よく動く頑張り屋だが、A代表では少し中央に残って得点を取れるゾーンに入ってきてほしい。特にゴールを取るという部分で、彼のクオリティが(日本代表に)いいものをもたらしてくれると思っている」

 2018 FIFAロシアワールドカップ アジア2次予選のアフガニスタン戦とシリア戦に向けたメンバー発表会見で、日本代表のヴァイッド・ハリルホジッチ監督は、2月に鹿島アントラーズ復帰を果たした金崎夢生への大きな期待を口にした。

 迎えた24日のアフガニスタン戦。彼は指揮官の評価に応え、鬼気迫るようなプレーでゴールを狙い続けた。出場した79分間で放ったシュートは9本。これには2トップを組んだ滝川第二高の先輩にあたる
岡崎慎司レスター/イングランド)も「夢生が貪欲すぎるので」と冗談交じりに笑ったほどだ。

 その飽くなき得点への渇望が結実したのが、78分のチーム5点目だった。大分トリニータ時代の盟友・
清武弘嗣(ハノーファー/ドイツ)が左サイドから上げたハイボールを途中出場のハーフナー・マイク(ADOデン・ハーグ/オランダ)がヘディングで落とした瞬間、一目散にゴール前へ飛び込みGKに激突しながら倒れ込む形で得点を決めた。喜びを爆発させた金崎はペナルティエリアを猛ダッシュで走り抜け、ピッチ上にひざから滑り込んでガッツポーズ。チームメートに祝福の嵐を受けた。「やっと入りました!」と試合後のインタビューで絶叫したのも、内に秘めていた喜びを抑え切れなかったからに違いない。この一発には大きな期待を寄せていた指揮官も「アカデミックなゴールではなかったが、それでも取ってくれたのは嬉しい」と頬を緩ませた。

 ハリルホジッチ体制における日本代表で2戦2ゴールという結果を残している金崎。彼は2007年から約7年間にわたって大分と名古屋グランパスでプレーし、2013年夏に海外挑戦を選択したが、国内でプレーしていた頃と現在を比較すると、劇的にプレースタイルが変化していることが分かる。

 当時は“万能型MF”という印象が強く、現在鹿島で2トップを組む赤崎秀平も「日本を離れる前はサイドとかボランチをやっているイメージだった」と言う。その金崎が2013年、2014年と2年間の欧州移籍を経て、完全なるストライカーへと変貌を遂げた。特に1年半の時を過ごしたポルトガル2部のポルティモネンセでの日々が非常に大きかったと本人も認めている。

 同クラブの本拠地・ポルティモンは、ポルトガル南部・アルガルベ州にある人口5万5000人の小都市。大西洋に注ぐアラデ川沿いの散歩道はリゾート地らしい雰囲気を醸し出し、急坂の多い旧市街からは異国情緒も漂う。この町で過ごした1年半の時を、彼を宝物のように感じているという。

「名古屋から2013年の始めにニュルンベルクへ行って半年間プレーした後、ドイツに残る選択肢もありました。でも(ミヒャエル・ビージンガー)監督とは考え方が違った。監督に直接聞いて、もう必要とされていないと分かって『じゃあ、もういいや。出よう』と。結局、その監督は自分が出た後、解任されたんですけどね(苦笑)。そんな経緯があって日本に帰ることも考えたけど、せっかく外に出たし、『純粋にサッカーをやりたい』と思った。そこで新たに契約した代理人から紹介されたのが、ポルティモネンセでした。ポルトガル2部だし、いろいろ考えた結果、『とりあえず行ってみよう』という感じで。ノリだったのかな、その時は(笑)。スタジアム(ムニシパル・デ・ポルティモン=約6000人収容)にはお客さんが1000人もいないし、最初はビックリしたけど、意外と良かったんだよね。町を含めて雰囲気がいいし、ポルトガルのご飯もおいしかった。小さなクラブだけど、みんな変におごっていなくて、ホントに一生懸命だった。ポルトガル2部は未払いのクラブも結構ある。ポルティモネンセではそんなことはなかったけど、給料は安いし、勝利給もない。そんな状況でも選手たちは必死にやっている。ポルトとのアウェー戦なんてバスで8時間かけて移動したりしましたからね。そういう環境に行ってみたことで、『周りからどう見られたい』とか『変に個性を出そう』とは思わなくなった。ポルトガルにいれば日本人っていうだけで見た目から周りと違う。だからこそ飾ったりしないで、普通の素直な自分でいいのかなと感じました。日本を出る前は無意識にそういう感覚になっていた気がします」

 ポルトガルで過ごした日々をしみじみと振り返る金崎。生まれ育った三重県津市でサッカーボールを楽しく追いかけていた少年時代に返るかのように、原点回帰の機会を得ることができたという。

 ポルトガルではプレースタイルにおいても劇的な変化があった。2013-14シーズン当初にポルティモネンセを率いていたアンゴラ系ポルトガル人のラザロ・オリベイラ監督は彼をMFからFWへとコンバート。最前線に陣取るようになったことで相手を背負ってのプレーや体を張ってのキープなどFWとしての動きを叩き込み、2シーズン目には半年で9得点をマークするに至った。

「最初の監督はものすごく熱い人。僕も試合になると結構熱くなるんで、『あんまり熱くなりすぎるな。冷静になれ。退場するな』って言われたと思ったら、次の試合で監督が相手の監督を殴って退席処分になっちゃった(笑)。戦術はロングボール主体だったけど、自分はシーズン途中で中盤からFWになって、そこでプレーが変わったのかなと思います。向こうは一対一のシーンが多いんですよ。日本はパンパンとパスを回して展開を速くするスタイルだけど、ポルトガルはガッツリキープして攻める。そういう環境で鍛えられたのは事実だと思う。違いを口で説明するのはホントに難しい。一番は体験してほしいけど、できないですよね(笑)。僕は自分の言葉によってサッカーの見方が絞られるのが嫌なんですよ。僕の目線だけじゃなくて、いろんな考え方があるだろうし、あまり固定して受け取ってほしくない。ただ、僕は向こうでとにかく必死にやってきた。試合に勝ちたくて、そのためにどうしたらいいかを考えた結果、体をぶつけてキープしなきゃいけないと。それを一生懸命やってただけ。サッカーはまずは『戦うこと』が大事。それをやってから個性を出しなさいって、自分たちのサッカーをやりなさいって。だからハリルホジッチ監督の言ってることは正しいと思います」

 地道にコツコツと自分と向き合い、ポルティモネンセの1部昇格に全力を注ぎ続けてきた金崎は、2015年2月に鹿島への期限付き移籍という形で約2年ぶりに日本へ復帰する。欧州内移籍はいったん諦め、自分がサッカーをしている姿を家族や応援してくれる人に見せたいと考えたからだ。気持ちを切り替えて戦った昨季の2015明治安田生命J1リーグでは27試合出場9得点をマーク。10月には約5年ぶりの日本代表復帰も果たした。

 ハリルジャパンとして迎えた最初のチャンスとなったシンガポール戦で得点を記録したことは、非常にインパクトの大きな出来事。そこには隠されたエピソードがあった。

「実はあのゴールは慎司さんのおかげなんです。試合前日のご飯の時、『監督にいろいろ要求されるけど、どうしたらいいですかね』と相談したら、『好きなようにやったほうがいいよ』って答えてくれた。それで僕は『分かりました』と返して、翌日の試合で思い切ってやれました。慎司さんもいろいろな監督の下でいろいろ言われきた結果の答えなのかなと。慎司さんはいい先輩ですし、ホントに僕からすると助かる存在です」

 尊敬する先輩と2トップを組んだ24日のアフガニスタン戦では2人揃ってゴールを決めた。岡崎は「夢生とは自分たちでそれぞれが勝手にやっている感じ。それが悪くないんですよね」と独特の言い回しで相性の良さを口にする。
レスターでプレミアリーグ優勝争いの原動力になっている先輩が「異常なほどの結果を出すためには、やっぱり周りのことを気にするより、自分のことをまず考えていかないといけない」と語った真意を金崎は誰よりもよく理解し合っているはず。ゆえに、彼も代表だからといって肩ひじ張ることなく、自分流を押し出しているのだろう。

 目下、その岡崎や大分時代の仲間である清武らと一緒にプレーできる機会は代表しかない。そこで楽しく充実した時間を過ごして結果を出し、代表定着、レギュラー奪取を果たしたいというのが、今の金崎の偽らざる本音なのだ。
toto オフィシャルサイト
 今年1月にいったんポルトガルに復帰した際には、4~5つのクラブから興味関心を示され、ロシアの強豪であるゼニト・サンクトペテルブルク移籍が本決まりになりかけた。しかし外国籍選手枠の問題でビッグクラブへの移籍が叶わず、すぐさま鹿島復帰という道を選んだ。その決断を迅速に下すには大いなる勇気が必要だったに違いないが、本人は至って明るく前向きだ。

「欧州移籍について自分がやれることはすべてやった。(先方の)監督も評価してくれたから、それはそれで良かったと思っています。やっぱりサッカー選手にとって大事なのは『どこのチームでやるか』よりも『今いるところで何をするか』。僕はそう思っていますから。鹿島も自分のことを一生懸命諦めずに追いかけてくれたし、その思いはすごく伝わりました。今は鹿島の優勝のために本気で戦っています。もちろんこれまで過ごした大分、名古屋もそれぞれの良さがあるので、どこがいいとかではなくて。ただ、最初にプロとしての一歩を踏み出した大分に愛はあります。だって、去年の年末にJ2・J3入れ替え戦(対FC町田ゼルビア)を清武(弘嗣)と一緒に見に行った時も、最初は普通に観戦していたのに、最後はすごく熱くなって、『なんでそこで行かねえんだ!』って怒り始めたりとか(苦笑)。やっぱり大分に行ったから今があるし、名古屋も同じですよね。今はそういう日本のサッカーを盛り上げたい気持ちが強いです。代表もそういう自分の楽しみや充実の延長線上にあったら最高だし、ワールドカップももちろん行きたいですよ」

 こう言って笑顔を見せた彼からは、清々しいほど“自然体”な雰囲気が感じられた。日本から離れ、自分自身を見つめ直し、“素”の自分を取り戻した金崎夢生は、FWとして、点取り屋として、ここからさらにブレイクする可能性を大いに秘めている。アルベルト・ザッケローニ監督時代から日本代表は
本田圭佑ミラン/イタリア)、岡崎(レスター/イングランド)、香川真司ドルトムント/ドイツ)が「3大得点源」と言われてきたが、金崎がそこに加わってくれれば心強い限りである。

文・写真=元川悦子

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欧州でMFからFWへコンバートされ、体を張るプレーを習得した金崎。
さらには【まずは戦う事が大事】と、球際の一つ一つでのプレーが重要であるという事を金崎は身をもって知ることになりました。
欧州でのプレーする選手の中でも比較的、目立った活躍はなかったように思いますが、だからといって何かが劣っていたとは思いません。

アジリティ(俊敏性)とテクニックに優れ規律を守り指示に忠実に従う。

これは欧州において総して日本人選手への評価の一つに使われることが多いフレーズです。
しかしこのタイプの選手はマイナス面も併せ持ちます。

主張が無く、アイデアに乏しい。器用だが個性が無い。

良くも悪くもまさに日本人ですね。
上手いちゃ上手いんですよ、みんな。でもそんな選手が集まっても、みんなが空気を読み合ってしまったり、遠慮してしまったりと日本代表ではそのチグハグさが結果にも出ているわけです。

しかし金崎はどうでしょう。
マスコミやジャーナリスト、サポーターの評価では、

ギラギラしてる、貪欲、常にゴールを見ている、チャンスでは迷わず打つ。
その反面、
闇雲にシュートを打ちすぎる、パスを出さない、勿体無い。

そう思われることも多いと思いますが、個性が無い選手は結果がでませんし、信頼を勝ち得ることはできません。
金崎はその貪欲さを欧州で【生き残る術】として会得しました。
その影響を受けて若い選手がどんどん貪欲になって成長曲線を押し上げてくれたら、きっと日本代表へも還元されると思います。

そして個人的に、殻を破って欲しい選手がいます。
それは柴崎岳です。
彼は上手い。でも強くない。

彼は【日本を背負って立つ選手】から、【日本トップレベル選手】へ成り下がってしまったように思います。その一番の原因は球際の【軽さ】だと私は思います。
上手いからこそ地味なプレーが出来ない、または球際に尽力するよりもゴールに直結するプレーを重んじたい、そう思っているのかもしれません。
でも【戦えない選手】は評価されません。

上手い選手が欧州へ移籍する道のほかに、欧州へ渡りそこから成長する、そんな道を金崎は構築したと思います。
柴崎も今のままでは欧州街道の花道は歩けません。
格好悪くても試合に出れるチームに渡り、戦う意味の大切さ、泥臭いプレーを身に付けながら個性を伸ばせたら、再び日本代表の中核になり得る、そう私は信じています。

2部のチームでも良いので早く欧州へ行き、【逞しさ】を会得して欲しいと心から思います。そして以前よりはるかに輝いて欲しい。
金崎のように!!

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金崎夢生を変貌させた「ルーティーンワーク」 心技体を磨き上げる最高の準備とは
Soccer Magazine ZONE web 3月27日(日)21時10分配信

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自身を変貌させた「ルーティンワーク」を、金崎夢生と木場克己トレーナーが語り合う【写真:軍記ひろし】

 2015年、日本に戻ってきた金崎夢生は、それまでの印象を一変させた。

 精悍(せいかん)さの増した顔つきと、そして何よりもそのプレースタイルは周囲に驚きを与えた。

J1リーグ2016年新加入選手&退団・戦力外選手

 たくましく屈強な体で最前線に立ち、誰よりもハードワークしてゴールへと向かう。

 まさにストライカー然としたプレーは、日本の前線に新たな息吹をもたらし、ロシア・ワールドカップ2次予選では2試合に出場して2ゴールを挙げている。

 この覚醒の陰にあった「ルーティーンワーク」を、金崎本人と、トレーナーの木場克己氏が語り合う。

金崎が日本代表合宿でも欠かさなかったルーティーンワーク

――日本代表合宿で、金崎選手の練習前のゴムチューブを使ったトレーニングが話題になりました。あのウォーミングアップは、普段からのルーティーンワークなんですか?

金崎「チューブトレーニングは練習直前に必ずやっています。体の軸とか、臀部(でんぶ)周り、脇腹の筋肉を練習で反応できる状態にするため、全部で5、6種類のメニューを行っています。誰が何を言おうと、絶対に練習前に取り入れています。クラブでも代表でも欠かさずやってきました」

――バヒド・ハリルホジッチ監督からは何か言われましたか?

金崎「『なんでそんなことやってるんだ? 早く来なさい』と言われました(笑)。ですが、これをやらないと始まらないと説明して、ほんの少しだけですが、待ってもらいました」

木場「メニューは時間でいえば、10分程度でしょうか」

金崎「その短い時間だけは何とか待っていただきたいと思っています。周りからは、異質に映るかもしれませんが、僕からすれば普段通りにやっているだけなんです。トレーニングのやり方も人それぞれですし、コンディション調整も10人いたら10通りある。そこで、ルーティーンが少し違うからといって、チームの和を乱そうとしているわけではありません(笑)」

――周りに流されず、信じたことを貫くというスタイルでしょうか。

金崎「それほど特別なことではありません。自分に必要だからやっている。日常生活でご飯を食べることなど、同じ感覚です」

木場「夢生は、過去に筋肉系のトラブルを繰り返した経緯があったからこそ、ルーティーンを守り続けているのだと思います。不安があるから、その不安を取り除くためにやり続けてきた。だからこそ、彼の中で欠かせない準備の一環となっている。ケガをした経験がない選手がアップもそこそこに練習前のボール回しに急に入って、捻挫するというケースがよくあります。練習前にケガをしないような状態をつくってから臨む。その一手間がすごく大事なんです。苦しんだからこそ、今のようなことができるのだと思います」

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木場トレーナーの指導を受けてから、明らかに体に変化を感じたと話す金崎夢生【写真:軍記ひろし】

金崎が木場氏の指導を受けて感じた体の変化

――そのルーティーンを行うきっかけは、木場トレーナーとの出会いだったのでしょうか?

木場「夢生とは、彼が(名古屋)グランパス2年目の時期に出会いました。ちょうどそのころ、彼は肉離れで悩んでいた時期でした。ただし、その年齢で肉離れを繰り返すケースは私が知る限り、あまり考えられませんでした。そこで彼の体や、動き方をつぶさに分析した結果、筋肉の硬さや、左右のバランスが違っていることが分かりました。まずはそれを改善するために簡単なストレッチからメニューを組み立てていきました。ストレッチといっても、ただ筋肉を伸ばすだけではありません。使える筋肉にしないといけない。肉離れが起きるということは、それだけどこか特定の筋肉に負担が掛かりやすくなっているということです。そこで、もも裏のトリートメントをしつつ、上半身がぶれないように脇腹の筋肉と、グッと踏ん張れるように臀部の筋肉を鍛え上げるメニューにも取り組みました」

――金崎選手は、なかなか思うようにプレーできない時期もあったと思いますが、木場さんの指導を受けて自分の体の変化を実感しましたか?

金崎「それまでは、ケガの恐怖が常に付きまとっていました。だから、思うように走ることができなかった。復帰しても再発させてしまうことが何度も続いていました。そうした部分の問題が徐々に払拭(ふっしょく)されてきたからこそ、今は相手がぶつかってきてもグッと踏ん張れるようになってきたのだと思います」

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金崎のプレースタイルの印象が変化したと話す木場克己トレーナー【写真:軍記ひろし】

海外移籍の苦難の先に得た成果とは?

――2013年にブンデスリーガのニュルンベルクに移籍しましたが、それに伴ってトレーニングの内容も変化しましたか?

金崎「海外でプレーするからといって、新たに特別なメニューを行うということはありませんでした。でも、少しでもいいコンディションで試合に臨みたいから、気になることがあれば、すぐに電話をかけていましたね。結構気にするタイプなので、頻繁に連絡していました」

木場「与えられたメニューをこなすのではなく、海外に行けば自ら選択してトレーニングメニューを作れるようになっていかなければならない。そういう指導は常に心掛けていました。アイシングにしても、ストレッチにしても、必ず患部の写真を撮って送ってもらうようにしていました。その都度、アドバイスをして夢生自身も学びながら、自らできることを増やしていってくれました。ただ、向こうでは夜9時くらいだと思うけど、日本では朝5時だからね(苦笑)」

金崎「電話に出てくれたので、本当に助かりました」

木場「最近は、ケガへの不安が無くなってきたからなのか、プレースタイルが変わってきた印象があります。海外移籍後は、日本に帰って来た時にメニューを渡し、向こうに戻った時もそれをやり続けてもらいました。もも裏の筋肉のパワーをつくるためには、坂道ダッシュも必要です。だから、ポルトガルでも、そのトレーニングができるように坂を探してもらいました。パワーをつけなければいけない時期もあります。ですが、彼の場合は、パワーよりも体軸を鍛えるところに重点を置きました。その成果も徐々に表れつつあると思います」

――その変化をどう感じていますか?

金崎「トレーニングを続ける中で、体をぶつけてもしっかりと耐えられるようになってきました。自分自身でも、今まで中盤でプレーしてきましたが、このプレーができるのならFWでもできるんじゃないかという予感もありました。実際に、ポルトガルでも最終的には『体が大きいから前線でプレーしてみろ』と言われましたし、鹿島(アントラーズ)でもFWで起用されるようになりました。体をぶつけられても耐えられるようになったことで、プレーの幅が広がったと思います」


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昨季は復帰した鹿島でも、走行距離やスプリント回数で際立った数字を出していた【写真:Getty Images】

トレーニングの成果は数字にも表れていた

――ケガが怖かった選手がケガを恐れなくなったということはすごいですね。

木場「不安なくプレーできていることの表れだと思います。特に、一歩の動き出しが速くなったと思います。肉離れが怖いとグッと踏み出せないし、踏ん張ることができない。例えば日本代表でのワールドカップ・アジア2次予選のシンガポール戦で、振り向きざまにあの角度でのボレーシュートを決めたけど、それまでのプレースタイルから変わってきていると思いました。長友佑都選手も、強くなったって言っていました。ボールも収まるし、見ていて安定感も出てきた。しかも、ハードワークもできている。昔は60、70分で交代することが多い印象があったのに」

金崎「ケガのイメージもあったと思います。故障のリスクを回避するために、自然と途中交代が多くなったのかなと」

――昨年プレーした鹿島には走れる選手が多い印象がありました。その中でも金崎選手は際立っていましたね。

金崎「そうですね、昨シーズンは鹿島の中でもスプリント回数も多くて、自分が一番長い距離を走って、一番スプリントしている試合も何試合かありました。そうしたことも数字として出ているのであればうれしいです」

木場「グランパス時代、彼はフィジカルが強い選手というイメージではなかった。でも、ドイツに行って、培ったものがあった。また、そこからポルトガルに渡ってピッチコンディションも良くない環境で、自然と筋肉も鍛えられたのだと思います。日本に戻ってきても、良い形で体が使えるようになったという印象を持っています」

――そうしたさまざまな環境を経験できたことは、自分の財産になっていますか?

金崎「ドイツの後に、違う国でプレーできた経験は大きかったですね。一つの国でずっとやり続けることも、いいことだと思います。ですが、2カ国に行って自分の中で違いを把握できたし、実際に体感できたことは大きかったと思います」


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W杯予選ではゴールを挙げるなど、日本代表での躍動に期待を感じさせた【写真:Getty Images】

金崎の言う「試合はデザート」の意味

――では、2016年に向けてどんな準備をしたいですか?

金崎「以前『試合はデザートのようなものだ』と言った監督がいました。おいしいし、甘美な時間を楽しむ90分間なのだと。だから試合の時は、何をしても良い。自由も与えられる。でも、そこに至るまでの過程が一番大事で、プロセス次第で半分以上が決まってしまう。それだけ準備期間で何を行っていくか、がサッカー選手にとっては重要になる。今年も最後のデザートをおいしく頂くために最高の準備をしていきたい。そして、どこであろうと、サッカーを楽しみながらこの1年を過ごしていきたいと思っています」

木場「すごくいい表現だね。トレーナーとしては、選手が少しでも不安なく試合に臨めるようにすることが一番重要な役割となると思っています。最後のデザートを楽しむためには、美しく盛り付けるためのお皿が必要だと思います。そのお皿となる体づくりを一緒にできればと思っています。夢生の名言には負けたけど、その一端を担えればと思っています(笑)」

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 このインタビュー後、開幕を迎えた2016シーズンで、金崎夢生はその宣言通りにサッカーを楽しんでいるように見える。Jリーグでは開幕4戦で3ゴールを挙げ、3月24日のロシアW杯アジア2次予選アフガニスタン戦でも気迫に満ちたゴールをもぎ取った。

 W杯出場権を懸けた長く険しいアジア最終予選を突破するカギは、この男が握っているのかもしれない。そう思わせるほどに、ピッチ上で躍動している。

 この男は確かに覚醒した。だがその進化は、まだ終わりを見せていない。いったいどこまで進化していくのか、それが今から楽しみで仕方がない。

[PROFILE]
金崎夢生(かなざき・むう)
1989年2月16日、三重県生まれ。滝川二高を卒業後、2007年に大分トリニータに加入。翌年のヤマザキナビスコカップ優勝に貢献し、ニューヒーロー賞に選出。10年、名古屋グランパスに移籍し、同年にリーグ制覇。13年、ドイツのニュルンベルクへと移籍。ポルトガル2部のポルティモネンセを経て、15年、鹿島アントラーズに期限付き移籍。自身2度目のナビスコ杯を制覇。リーグ27試合出場9得点を挙げ、09年以来となる代表復帰を果たした。16年、鹿島に完全移籍。

木場克己(こば・かつみ)
プロトレーナー。KOBAスポーツエンターテイメント株式会社代表、アスリートウェーブ西東京鍼灸整骨院アドバイザー、KOBA式体幹☆バランス協会会長、インテル長友佑都らの専属トレーナーを務める。



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体幹を鍛えて強靭なフィジカルを獲得した金崎。

そこには木場氏のサポートがあった模様です。
筋肉系の怪我を繰り返していた体が、よりタフでしなやかに仕上がりMFからFWへとポジションを上げるキッカケになりました。

そして現在は鹿島で、そして日本代表でも欠かせない選手になりつつあります。

アグレッシブな攻撃と、無尽蔵のスタミナ、そして何より諦めない「気持ち」を出す金崎は見ていて気持ちが良いし、応援したくなりますよね。

鹿島の夢生、日本の夢生頑張れ!!

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